教科書に載ってるあの人も訪れた「古四王神社(こしおうじんじゃ)」とは……?

2015年03月12日21時19分
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教科書に載ってるあの人も訪れた「古四王神社(こしおうじんじゃ)」とは……?

神社通なら一度は行きたい古四王神社(こしおうじんじゃ)


神社めぐりをする人に人気のある神社のひとつに古四王神社があります。
古四王神社は、秋田県秋田市の寺内児桜にある神社です。

余談ですが、「秋田」の名前の由来は、秋田県がアゴに似た地形だったために付けられた「齶田(あぎた)」が転じたものだとも言われています。
後ほど解説しますが、古四王神社にも「齶田」に関わり深い神様がおります。

古四王神社に伝わる伝説とは……?


この神社に伝わる伝説をご紹介します。

古四王神社の起源は、四道将軍大彦命が蝦夷を平定するため北陸道に派遣された際、
北門を鎮護するため四道将軍大彦命(おおひこのみこと)が武甕槌神(たけみかづちのみこと)を齶田浦神として祀ったことであるとされています。

この神社自体は阿倍比羅夫が自らの祖である大彦命を合祀して、建てられたものであるとされています。

歴史の教科書でお馴染の坂上田村麻呂も訪れた。


神社の境内の中には坂上田村麻呂が戦勝祈願のために訪れたという言い伝えがある田村神社もあります。

その後、古四王神社は四天王寺と習合して、長く東北地方で信仰の対象となりました。

江戸時代には秋田地方は佐竹氏の領地になりますが、佐竹氏から土地を寄進されています。


江戸時代の戯作文芸の代表作「南総里見八犬伝」の著者として知られる滝沢馬琴が書いた玄同放言という随筆の中にもこの神社のことが書かれています。
坂上田村麻呂をはじめ、様々な偉人が訪れている神社です。

明治時代になると神社の間の社格を定める社格制度が定められるようになりました。
古四王神社は紆余曲折を経て明治9年に県社に指定されます。

その後明治15年には国幣小社に指定され、秋田県内の神社で最も高い社格になりました。

歴史と浪漫にあふれた神社、古四王神社

この古四王神社は、とても歴史がある神社だということがお分かりいただけましたでしょうか。
様々な偉人も訪れた古四王神社に是非一度押しを運んでみてください。

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